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年に一度のご登場です!!(なので、なが~い文章になってしまいました(笑))

2016-02-29

こんにちは、文京関口の柳沼です。

1年に一度、華やかな姿を見せてくれるお雛様。

その習わしが現代の形となって定着したのが、江戸時代と言われています。

あくまで、一つの仮説ですがご紹介します。

 

多くの仮説があると思いますが、そんな多くの仮説の中に

「巳の日の祓い」があります。

『源氏物語』須磨の巻に、こんな、内容が記されています。

【3月の最初の巳の日(上巳の日)にお祓いが行われ、人形を舟に乗せて海の沖合いに流す。】

平安時代の貴族は、三月の「巳の日には疫病など流行やすい」と言うことで、占い師(この時代はかなり占い師に依存していた社会生活をおくっていたとされている。)

により無病息災を祈願する行事、人形・紙・土・草・藁などで簡単な人形(にんぎょう)を作成し、お酒やお供物を添えて、病気や災いを身代わりに背負ってくれますようにと、願

いを込めて川や海に流していたそうです。

一方、そうして貴族たちの風習は時代が移り変わるにつれ農民にも広がって行きました。

次第に都の貴族の「大人たちの遊びの雛遊」が早いうちに貴族の子供たちへと広まりはじめました。

貴族の子供の習慣と「巳の日の祓い」が一緒になり、3月3日の「ひな祭り」として定着したのは江戸時代の事だそうです。

しだいに雛人形は豪華さを増し、部屋に飾っておくものになり、やがて、武士をはじめ一般庶民にも広まり今に伝わる思い、女の人のいろいろな穢れ・災いの身代わりになる大

切の物として人の世のしあわせを願っての3月3日の雛祭りの行事となっていったとの話があります。

上記のような流れやいろいろな仮説がありますが。

親が子の健やかな成長を心より祈るのは、古より変わらない人の気持であること、それが基本真ん中にあることが、どの仮説を読んでもでも伺えます。

なんだか、ほっこりした気分になりました。